古き良き時代

m3に投稿されていた『よしくるそう』先生の手記

引用開始

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府内で唯一の切断指再接着医療機関に勤めていた頃、
下手すりゃ毎日、最少でも3日に一度はオールナイトの手術だった。
延々と続く手術。

朝に定期の手術が始まるまでに緊急手術が終わる時はまだ良かった。
そのままオペ場に居残り、定期のオペするだけ。
誰も代わりなんて居ない。

緊急手術の終わらない時の人のやり繰りはそれはそれは大変だった。

それでも研修医の給料は税込み4万円だった。
緊急手術代はおろか、超過勤務手当もつかない。
唯一当直者のみ9000円の当直手当がついた。

4万円弱で1ヶ月どう暮らせ言うのか?(家賃は5万3千円だった。)
明らかに憲法違反の大学病院だった。

食えない私たちは、緊急の当番で無い時に、
激しい救急病院にアルバイトに行っていた。
いつも寝不足でフラフラだった。
よく交通事故を起こさなかったものだと本当に思う。

教授の「先生は普通の人でいいの?」という言葉に奮起した時代だった。
大学院に入って、月々5万円の月謝を払って、
緊急手術の無い時に実験した。
大学院を卒業して助手になったら、初めて月給13万円もらった。

そんな時代があったから今があると思っています。

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私が消化器外科教室に入局した頃と状況はほぼ同じ。

来る日も来る日も医局に15時間以上詰めてのジリ貧生活。

なつかしき研修医時代。

知っている人は知っている、『神田川』の世界・・・。

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